エイミーの果てない旅の記録

備忘録メイン。あと、こんな生きる方法もあるよーって知ってもらえれば。

無職になった話

こんにちは、詠美です。
今回は無職になった話を書きたいと思います。

といっても無職になったのはつい最近で今年の4月からなんですが(…つい?)、3月末までとある企業の事務として働いていました。
入社したのは2年前の4月。ハローワーク障害者雇用向けの求人から応募し入社しました。いわゆる「オープン就労」というものです。

障害者には就労の形が大きく二つに分かれていて、オープン就労とは自分の障害をオープン(職場に開示する)にして就労するスタイルのことです。そしてもう一つがクローズド、自分の障害を職場に開示せずに就労することです。
クローズドで就労する場合は基本的に障害が無い人と全く同じ方法で就活し就労します。
オープンとクローズドの違いはまた別の記事に詳しくまとめれたらと思います。今回は割愛。

私は入社時に自分のADHDの特性(特に苦手なことなど)と、してほしい配慮をまとめた資料を当時の直属の上司と部署の上司に渡しました。私の入社した企業はめちゃくちゃデカくて(誰でも名前知ってる)、もちろん法律上で障害者を雇用する対象の企業ではあるんだけどそれ以上に雇用された職場の直属の上司が障害者雇用にめちゃくちゃ力入れてた方だったみたいで。
部署の上司も聡明な方で(お二人とも栄転された)入社初日に職場に行くと机に「優先順位つけるの苦手ってあったから、こんなん用意してみたよー」ってミニサイズのホワイトボードに①②③と書いてあるマグネットが貼ってあって、「これに今日すること順番に書いていってその通りにしていこう」と。
他にも、私は電話応対が極端に苦手なんですが電話応対は免除してくれたり。これがオープン就労なのか…!と私は震えました(笑)
季節の変わり目などで体調を崩す日もかなりあったんですが他の職員さんにも恵まれ、人間関係で悩むこともなく日々を過ごしました。
この時点では退職の「た」の字も頭にはなく、普通にこの先も少しずつできることを増やして働ければいいな、そう思っていました。

しかし、年度末の辞令で直属の上司と部署の上司二人が異動に。この時点で私はうっすらと不安を感じていました。そして新年度、その不安は確実なものとなりました。
新しい直属の上司はとても優しい方だったんですが、部署の上司が…。
体育会系で根性論大好きで、感情的で。職員みんながいる前で課長を叱責する。上司のすべてが嫌でだんだんうつっぽくなってきて体調を崩す日が増えました。
私(障害者雇用の職員)をどういう話で引き継ぎがあったのかは分かりませんが、以前の上司はこまめに声をかけてくれてたけど新しい上司とは本当に必要最低限のやり取りしかなかったです。
苦手と伝えてあった電話応対も人手が足りず、最初は内線のみだったのが外線も…となってそれも結構ストレスでした。
私はフルタイムでの勤務ではなく、最初は週五日の6時間で働いていたんですが体調に合わせて出勤日数や時間を調整してもらってました。これは本当に有難かった…
しかしどれだけ出社時間を遅くしても、出勤日を減らしても勤務時間を短くしても出社できない日が増えて。
朝、起きれるのに出社ギリギリになっても準備ができない、ソファから体が動かない。15時過ぎくらいからやっと動けるようになる…そんな状態でした。週に何日も休んでしまって仕事も進まない、職場に迷惑かけている…そう思うとさらに憂鬱になって…。
私はADHDうつ病の薬をもらいに四週間に一度、精神科に通院し診察を受けているので診察日に主治医にそのことを相談すると「ADHDの人は周りに合わせようと努力しすぎて知らないうちにエネルギー切れをおこすんですよ、過剰適応っていうんですけど」と説明され、3か月は休んだ方がいいとのことで休職することになりました。

休職直後はHAPPYでHAPPYで最高だったんですが1ヶ月を過ぎてから…そう、時給制社員だったのでお金が入ってこない!!!私は現在障害年金として1ヶ月約9万円もらっているんですが、なにせ支払いで右から左へ。ほとんど残らず、生活費がない。これに焦って副業としてチャットレディを始めたんだけど、この話もまた別の機会に。

しかし3ヶ月間休職をしても、また出社できるようになる自信がまったくなく、在宅でチャットレディをやっていたこともあって在宅で仕事ができる楽さを知ってしまい契約満了となる3月末に退職することにしました。丸っと2年いたのか…よく2年も続いたな凄い(凄いとは)
母体も大きいし、職場は(少なくとも部署の上司以外は)苦手なことに配慮してくれたり仕事を任せてもらえたりして超絶優良だったのに辞めるなんてもったいない。ほとんどの人はそう思うだろうし実際言われたけど、どれだけ恵まれた職場でも些細な環境の変化に耐えられなかった。そこが発達障害の特性なのかな、と思いました。シンプルに言えば私は「軟弱者、こらえ性のない」人ということですね(笑)

メンタルを病む人が増え続けるこのご時世。社会人になる前に精神疾患や障害になる人もいれば、いつ精神疾患や障害で以前のように働けなくなるか分からないから。こんな働き方もあるんだなって知ってもらえたら、と思って今回はオープン就労で働いていたときのことを書きました。

それでは、また次の記事で。

自己紹介

はじめまして、詠美といいます。

今月に入って時間に余裕ができたんですが、特にすることもなく…なにしようかと考えてこの有り余っている時間を利用してブログでも始めてみるかぁ~となり、開設に至りました。
ブログを書くにあたって一番恐れているのが三日坊主(根っからの三日ボウザーなもので…)
毎日の更新は難しいですが、ひとまず三回以上の投稿を目標にしていきたいと思います。

 簡単に自己紹介していきたいと思います。
名前:詠美
年齢:30代

住み:西日本
職業:無職
オプション:精神障害者福祉手帳2級、障害厚生年金2級、失業保険給付(申請中)

                          …こんなところでしょうか

それからブログのaboutにも書いているんですが
ADHD
うつ病
セクシュアルマイノリティ
あとよくわからない生きづらさ諸々
          を抱えております。

このブログでは主にこれらに関すること、生きていくために私がしたこと・していることなどを整理しつつ投稿していけたらいいなぁと思ってます。
あとは興味を持ったことを書き留めておく場所にしていこうかなと。

同じように生きづらさを感じている人やそうじゃない人にも、へーこんな考え方、生き方もあるのかって知ってもらえたら嬉しいです。

とりあえず、自己紹介はこんな感じで終わろうと思います。
それではまた次の記事で。